昨日、トルコの親善試合よりも、オシムの初公式戦よりも、高校野球が気になっていました。
早実と、八重山商工。
この2チームが今大会のお気に入り♪
早実は、投手の斉藤君がいいですね^^。
恵まれていると言うほどではない身体に、ポーカーフェイス。
抜群の制球力に、150キロ近い速球も、スタミナもある。
東京っ子なのかと思いきや、群馬は太田市の出身なんだとか。
「ふ~ん。群馬ねえ・・・」
と、思った瞬間、斉藤君と、ある人がダブってしまった。
群馬出身で、文武両道で、ポーカーフェイスのクレバー投法・・・
それは、1981年の選抜に出場した
高崎高校の川端俊介投手。
まあもっとも、斉藤君はスピードも球威もあり、甲子園を目指して早実に入学
したのだろうから、川端投手とは決定的に違うのかもしれないけれど
(しかも、高崎は1回戦敗退)
”しなやかに、したたかに。ピッチのクールビューティ”
と言う点でダブってしまうのです^^。
タカタカこと、高崎高校は、中曽根・福田両前首相を輩出した県内きっての名門進学校。
その高崎高校が、シロウトの監督と、173センチでフツ~の体格・無名の川端投手を
擁して甲子園へ乗り込み、「文武両道校」として、評判になりました。
力でグイグイ押す、速球主体の豪腕ピッチャーが好きだった私には、
川端投手は凄く新鮮に映りました。
ピンチでも、そうじゃなくても、顔色ひとつ変えず、小気味良いテンポで淡々と投げ、
特に力のあるボールがある訳でもなく・・・強いて言えば、バッターの打ち気を逸らす、
引き算のピッチングとでもいうのでしょうか?
まさに、「負けるが勝ち」。
力でバッターをねじ伏せるだけが勝つことではないのだと教えられたのです。
あと、甲子園へ行くために越境入学は当たり前の時代に、汗とか、涙とか、
根性とかの悲壮感も全くなく、
「ナンだか甲子園に行けちゃうみたい・・・。嬉しいけど、勉強の遅れが心配」
といった風情の、ナインのどこか冷めた感じが
「高校野球は、(実は)部活動の一環」
という原点を思い出させる気がして、良かったんですよね^^。
私は、どうしても川端投手や、バットより参考書が似合いそうなナインに会いたくなり、
親に頼み込んで高崎まで行かせて貰いました。
(まだガキんちょだったので、∑( ̄□ ̄;)ナント!!父親同伴で(爆))
事前に監督さんへ手紙を書き、練習を見学させてもらいました。
私は出来るだけチームに近付き、どんな掛け声も、どんなボールも、
打球も、すべて心に焼き付けようと、無我夢中でした(笑)。
(以下、引きずり出した当時のピンボケ写真と、レポート帳です(笑)。
選手個々の行動が、つぶさに記載されていて笑えます^^;
未だに選手の顔と名前、雰囲気を細かく覚えています。最近のことは
すぐに忘れるのにね~)
憧れの川端投手が、目の前で淡々とボールを投げていました。
(今思うと、高校生らしからぬ精神的ふてぶてしさ(笑)があったように思います。)
生まれて初めて見た、高校生の野球選手たち。
随分大きく、大人に映りました。
陽が傾いて練習が終わった時、一生懸命作った千羽鶴を、川端投手に渡しました。
「また甲子園へ行って下さい」と、言ったような気がします。
するとちょっと照れたような、困ったような(笑)顔をして、
ぼそっと
「ありがとう」
と、言ってくれたのを覚えています。
その後か、前かは、厳密には覚えていないのですが、川端投手のご近所で幼馴染みと言う女性と知り合うことが出来ました。
彼女から時々、素の川端投手の話を聞くのが楽しみでした。(当時はメールとかないので、文通でしたが)有名人になってからも彼は、浮き足立つこともなく、以前と変わらない「俊ちゃん」だったようです。
一度、私の為に彼女がサインを貰って送ってくれたことがありました。
白い紙に「川端俊介」とだけ、書いてありました。
高校生といえど、プロ野球選手のように崩したサインをする球児が多い中、
川端投手らしいなあ~。と、嬉しく思った記憶があります。
結構、上手な字でした^^;。
祈りもむなしく、タカタカは夏の甲子園に出場することは出来ませんでした。
川端投手の甲子園は、1度で終わってしまいました。
その後、川端投手は学芸大に進み、現在は教師をされているそうです^^。
そして、社会人になってから、川端投手が、
山際淳司の『スローカーブを、もう一球』で
描かれていると知り、驚きました。
その選抜大会で準優勝した印旛高校に、月山栄珠という大会随一のスラッガーがいました。
(*高崎高は、関東大会の決勝で、印旛高校に2-5で敗れている)
”川端は、その月山と対戦してみたいと、ひそかに考えていた。
月山は、川端から見れば対極にいる選手であり、高校生だった。もうスカウトが何人も
月山の野球を見に来ているだろう。(中略)月山は野球を通じて、直線的な人生を
歩んでいくタイプなのかもしれない。川端はまったく逆だった。”(本文より引用)
私は、月山選手
(のちに阪神)も応援していたのですが、大人になってから、
彼の後輩(野球部の後輩投手)と知り合う機会があり、
「月山さんは今、焼肉屋をやっているよ」と聞き、連れて行ってもらう
約束をしていたのですが、何度かご破算になって以来とうとう実現せず、
月山選手とのご縁は実を結びませんでした(笑)。
川端投手は、あとにも先にも唯一追いかけた選手で、月山選手と、これまた唯一
不思議な縁を感じたものでした。